過去を振り返る
私にとって親とは、全くごく普通の人たちだったようにも思うし、世間で言う毒親だったようにも思う。
この歳になって、現状を親のせいにするつもりは全くないのだけれど、私の性格の土台が親との関係によって作られていることは間違いない。
子供が生まれたとき、心と体が健康でありますようにとだけ願った。他のことはまぁまぁ後回しでいいから、とにかくこの世界が生きにくいとだけは思わないように育ってほしい。
自分の経験からそう強く願っていたにも関わらず、モラ父の影響で「人生に希望が持てない」と言う息子に私が何ができるのか、考えている。遅くはないはず。
このブログを始めた時、何か今を記録に残したくて、それがネットでそっと繋がった知らない誰かにちょっと役に立てばいいなぁと思った。他人のただの日記など興味の対象とはならないことは理解していたけれど、このブログ、ほとんど誰も見ていない、笑。更新もほとんどしていないので、当たり前。
でもやっぱり記録を残していこうと思う。
この前、今思えばこれがモラハラのサインだったんだなという出来事を書きましたが(ずっと前)それよりもっと遡ることにしました。
なぜ今私はここで生きているのか。
アドラー心理学とかでは、過去は関係ないってよく言う。過去を顧みることに意味はない、これからどうするかに過去は関係ない。
それでも、もう一度過去を考えたくなったのです。そしたら前に進めるような気がしてきた。
離婚して、ここから未来へ歩いて行くのだと思っていた。でも現実は全然違っていて、いつも足踏み。不安は消えない。生活の不安ではない、誰かに支配されるという不安。
誰にもわかってもらえないという傲慢と、誰かに助けて欲しいという甘え。
いいことないかなっていう運頼み。
何にも変わってない。変わらない恐ろしさ。
そんなこんなで、パーソナルな事情を書き綴り頭を整理したいと思います。
息子にとって私は毒親だろう。でも変われると思ってる。