インネの日記・うたかた

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ドラマ「私の夫と結婚して」日本版を見た

私の昔の趣味はドラマ鑑賞(日本に限る)だったのですが、最近はあまりみなくなった。

以前と違い集中力が落ちて、単純作業などするとき、おそろしく単純なことでないとドラマを並行して見られなくなったから。

今では、ごはんやおやつを食べるときしか見られない。

息子など、携帯とパソコンでふたつのゲームをしながら、パソコンの隅で映像を見ている。これも若さがゆえ。

これで、日本語と英語が伸びた。

 

まぁ、それでも先シーズンは「ちはやふる」「DOPE」 「しあわせな結婚」を見た。「しあわせな結婚」が一番面白かった。それぞれのキャラがいい。

 

そんなわけで、夏シーズンが終了したので、放送済みの「私の夫と結婚して」(日本版)を見た。

タイトルからして私が見ないタイプのドラマなのだが、バラエティー佐藤健が紹介していたので。

 

私の夫と結婚して

 

ネタバレあり注意。

いろいろと考えるところがあり、面白く見た。

元々は韓国の小説を韓国でドラマ化したらしいが、日本に合うようにアレンジされているのがわかる作り。

韓国ドラマは見ないのだけど、昔々、ドラマの放送の間に入れる「これまでのお話」を作るアルバイトをしたので、何本か見ている。

制作の時間稼ぎと新規の視聴者を狙う1時間くらいのやつである。

話はそれるけど、韓国ドラマって長くて、最初の方はいいけど、30話あたりからどこ切ればいいんだ〜と終盤大変苦労したの。

(長いから、何話かに1回、全体で数回ダイジェストを作った)

それで、何回も何回もドラマを見た経験があるんです。

 

というわけで見始めると「韓国っぽい〜」と思った。

偶然の再会やキラキラ御曹司が出てきたり。

日本でも出てくるけど、なんだか韓国風味。

最後に知ったけど、韓国の監督が撮られたそうで、なるほど。

 

面白かった。

というのも、主人公の性格に、ぐさぐさと身に刺さる、思い当たる点がたくさんあったから。

お人よし、人の頼みを断れない、自身がない、被害者意識が顔に出てる、人にいいように利用される、変な人ばかりが寄ってくる。

わかってます〜。

主人公は夫とその浮気相手、幼馴染の親友に殺され、気づくと10年前に戻っていた。

真実を知った主人公は自分を変えて強くなり運命を変えていくという話。

 

さすがに、夫と親友に殺されて、過去からやり直せるならなー強くもなれるけどさー。

と思ったけど、私だって死にかけたのだった。

元夫には「死ぬのだったら、この先子供を育てるための金を払え」と言われたのだった。

どうして私は強くなれないのだろう。残りの人生は限られているのに。

と思いながら見た。

守ってくれるキラキラ御曹司の存在というのは大きな違いだが。

 

俳優さんたちが演じる人物も面白くてよかった。

心が捻れてしまった幼馴染のキレっぷりの振り幅がすごい。

普段の私はここで結構冷めるのだけど、なんだか惹きつけられてしまった。

インパクトある悪役を受けた俳優の白石聖さんは本当によかったと思う。

 

ぼやっーとした自意識過剰の夫、横山裕も自然で「なんでこうなったんか、ほんとわからん」と思いながら演技してたってインタビューで言ってたけど、まさにそのまま。

客観的に見るとひとりの登場人物。

でも「ほんとわからん」の雰囲気がまさに、でした。

 

一番気になっていたのは、この幼馴染の存在が、私にもいたからだった。

学生の数年間から社会人になって数年、彼女は私の一番の友達だった。

 

特に高校3年間、私はぼや〜っとした主体性のない人間だったので、

「inneは大切な私の一番の友達だよ」と言われながら、蔑まれていたことに気づいていなかった。

美人でユーモアがあり、人気者の彼女の一番の友達であることを当時嬉しく思っていた。

彼女が私を引き立て役として側に置いていたことが、今ならドラマを見るようによくわかる。

またまた、と思われそうだけど、ドラマの幼馴染を見いて、彼女のことしか思い浮かばなかった。

大学、就職とちょっとずつ距離感はできて、行動があからさまになり、縁を切ったのだけれど、今でも時々夢に見る。それくらい彼女は私に何かを残したままだ。

最後の方の事件だけど、共通の友達に「inneちゃんのせいで彼女落ち込んでたよ。ひどいことするね」と言われ、縁を切られたこともある。全く思い当たらないが。

そして、それはあんまりだという彼女の行動で離れかけると、未練がある彼氏を追いかけるかの勢いで「離れていかないで、inneは私の大事な一番友達なの。ごめん。」と泣きながらすがられた。

彼女にしろ、元夫にしろ、何かが欠けてそこを他人で埋めようとし、強烈なパワーを注いでくる人がバリア機能のない、ぼーっと突っ立った私に近づいてくるのだろう。

 

過去に戻って御曹司の助けがあるのはドラマだけだけど、私だって今から変われるのだ。

そう思っていたことを、思い出させてくれるドラマだった。

 

映画館「ルノワール」で昭和を見た

ここで、久々に書く。

前回、すごく怒ってる。あはは。許せない、とか書いてるけれど、その怒りはとっくに忘れてしまった。

その後3ヶ月毎月手術があり、へとへと。

夏休みはのんびりして、新学期が始まった。

毎日、何かしないといけないような気がして、焦るばかりで、特に何もしていない。

片付けはしているかな。ちょっとずつものを減らしているけど、ものの多さを感じるばかりで一向に進まない。

 

そんな中、映画館で早川千絵監督の「ルノワール」を観てきた。



11歳の少女が主人公なのだけど、みんなの心にいる少女たちであるというのがわかる気がした。

とっても昭和だったのもある。

昭和も昭和で、この子、私と同い年では?と思ったら、早川監督、私と同い年だった。

「自分の子供の頃の記憶を蘇らせた」とか、正しくはなんと言ってらしたか忘れたが、そんなようなことをおっしゃっていたので、正解だ。

とにかく子供の頃のツギハギ昭和が、私にぴたっときたのだ。

 

家の雰囲気が特に細部まで凝ってる。

籐製の家具が多いとこ、ネジネジのすだれ(あーうちにもあった!)やたらコードの長い 薄いプッシュフォン、家電も実に知っているものたち。

画面のあちこちに懐かしさを発見するのが楽しい。

霊能ブームや伝言ダイヤル、報道される事件、戦後を伝える映像など。

ごうごう火を燃やしてキャンプファイヤーした、した!

今はきっと禁止だろう。あんな大きな火、無防備に燃やせないだろう。

火のまわりで「ライディーン」で踊ってて、映画館でひとり吹いてしまった。

私は「スリラー」踊ったの思い出したけど、あれは中学の時か。

 

というわけで、いつ、とは映画の中で出てこないのだけれど、わかる人には80年代半ば頃であるとすぐわかる。

 

昭和の終わり頃に生きるちょっと大人びた少女がいろんな大人に出会うひと夏。

好奇心と苛立ちと不安と…ごちゃ混ぜの心で。

繊細に描かれていてよかった。

この感覚、私は好きだった。

 

ちょっとネタバレあり。

お父さんが癌で手の施しようがない段階で、これが底にずっと流れている不安なのだけど、かといって暗い映画ではない。

演じるのはリリーフランキー

ここで何度も書いているけど、

リリーフランキー、あなた何回癌で死ぬんだよ!

少なくとも5回は亡くなっているんじゃないかな?もっとかもしれない。

 

許せないこと

ここのところ、いろいろなことがありました。

癌転移再発やそれに伴う手術、もうすぐ治療。。それくらいか。

その中で、決定的に許せない人為的なことが起こりました。この時は、怒りが頭も心も巡り充満して、絶対に許せない!信じられない!と、それから多大な心配が渦巻いていたんですが、3日経つと薄れてきた。モルヒネのせいだろうか。

というのも、息子は大事な試験週間だったので、病気の再発のことについて言うタイミングを迷っていて、とりあえず近い大きい試験が過ぎるまで言わないと決めていました。友人にも今は息子に言って心配かけたくないから言わないし、言わないで欲しいと伝えていました。

なのに!なのによ!もう分かったと思いますが!

私が手術でいない日に、友人が「あなたのお母さん、癌再発で入院してるんだよ」って息子に言ったの!

信じられます?信じられません。言うなって言ったのにですよ。

人の家庭をなんだと思っているんでしょうか。書きながら怒りが戻ってきた。

そんなこと有り得ます?人のうちの子供に勝手に「お母さん癌です」って言います???

もう友人でもないわ!絶対信用しない。

試験直前にそんなこと言われて、試験に集中できるだろうか。頭を全くよぎらないと言うことがあるだろうか。ちなみにうちは母子家庭で、今、母がどうかなったら、今後どうなるかとか考えないだろうか。

「なんでそんなこと勝手に言うんだ!!!」と怒ったら

「真実を知るべきだ」とか「彼なら受け止められる」とか「彼はきっと知ってて本当のことを知りたがっていた」とか言うの、あいつ。

あなたがどう考えて、どんな意見を持つかは自由ですよ。

でもさ、いつ言うか決めるのは私でしょ!言うのは私だよね!

自分はどれだけ正しいんだよ。

おまけに「〇〇も言った方がいいって言った」とか言いやがる。「〇〇ちゃんも言った!」って幼児か。それで、その人のおすすめされたから言ったの? なんで人の病状、家庭の事情ベラベラ他の人に話すの?

どう考えたって、話した方がいいと思ったら、まず私に話してはどうかと聞くべきだろう。

これは、言ってないと知らなくて言ってしまったパターンではないですからね。本人が意思を持って勝手に教えたんです。本当に許せない。

 

あー最近気持ちが薄れてきてたから、このまま流すのだろうかと自分の気持ちがよくわからなくなっていたが、やっぱり許せないわ。

 

息子には本当にかわいそうなことをしてしまった。うちは小さな学生用のアパートでふたつベッドを並べてその横で彼は勉強している。眠る母を見てどう思っていただろう。

病気、疑ってた?と聞くと、私の息子らしく、全く考えもしなかった、と言った。

試験は?難しかったよ、あんまりできなかったーと言っていた。

ちょっと私に優しくなった。

息子は泣くのが大嫌いなので、涙は見せない。

泣いてもどうにもならない、と言う。

強い子だ。強い子だけど、すごく頑張ってると思う。

気持ちを考えると、こっそり泣いてしまう。

もうこりごりだよ、血管注射

お題「わたしは○○恐怖症」

 

わたしは、血管注射恐怖症。痛いの恐怖症の人閲覧注意。

 

病気になって、避けて通れない血管注射。

血液検査やスキャナー、IMR、点滴、麻酔などとにかく血管注射の機会が多い。

私の血管はとても細いらしく「細いわね〜」と言い始めたところで嫌な予感が。

細い血管でも、プロフェッショナルはすいっと痛みを感じず入れることができるのだ!

「細いわね〜」とまず言い訳を始めるのは、絶対下手な人。。。

ここ、がんセンターの針打つ人はことごとく下手で、私はいつも恐れている。

以前、血液検査で両手ひじ裏手首の4回失敗されて「あなたにはこれを飲む権利があるわー」と、りんごジュースをくれた。

最新血液検査では、気安く失敗されるのを恐れ、前回の人は4回失敗したと事前に教えたら、その人は2度失敗し、違う看護師を呼びに行った。もちろん二箇所はしばらくブルーに腫れていた。

過去には絶対神経に当てたと思うのだけど、痛みののち痺れが続き、コーヒーカップが半年持てなかったこともある。

 

今回の骨補強手術の麻酔を打つとき、全身麻酔は5回くらいやっているけれど特に問題なかったので恐れてはいなかった。麻酔のための麻酔バッチもつけてるし。

しかし、ここはいつも手術する病院ではない!注射要注意のがんセンター!

打ち込んだ瞬間、手のすべての神経、指先のほっそいほっそい神経まで全部一気にバンっ!!!!と電気が通ったような痛みが走った。本当に手の形と細い線をすべて感じた。

痛くて痛くて「わーっ!」と叫んで涙が出て、動かないでと取り押さえられた。

そうして眠りに落ちて行きました。

 

脊椎注射も3回くらい経験がありますが、同じくらい?

とにかくものすごい痛みだった。泣いた。

 

今も手がピリピリ痺れているのだけれど…それは病気による神経痛とは種類が全く違う。明らかにあの時のビリビリの残りである。弱い同じ痛みなのだった。

もう、恐ろしすぎる、注射の下手さ加減。こんな痛い目には2度と会いたくない。

 

しかし、こう書いてみると、私いろんな治療頑張ってきたな!って思えた。

ちなみに、血管注射後は5分くらい手で抑えていないとダメだそうです。半年の痺れのときそう言われました。

骨転移、骨補強手術後

三日前に「骨折を防ぐための骨補強」手術を終え、一昨日の朝退院して帰ってきた。あっという間。それからほぼ、ベッドの上で過ごしている。

 

昨日、つまり二日後は、立ち上がることさえ難しかった。寝ている状態から体を起こし座る、座ったところから立ち上がる、普段何気なくしていた作業。体をまず起こせない。体を斜めに滑らせて移動させて、手で足をベッドからおろし、布団に頭と手をついて徐々に体を起こす。

座ってみたはいいが、ここから立ち上がるすべを知らない。本当に体がすっかり忘れているのだ。どうやって立つかを。落ち着いて、ベッドの端や棚などを支えに立ち上がる。立ち上がることができる。やっぱり歩き出し方もわかない。歩ける気がしない。擦り歩くように進んでみるが体重のバランスがうまく取れずドタバタと大きな音をさせて倒れるように進む。徐々にすり足で歩けるようになる。

退院1日目の方がまだ歩けていた。多分麻酔がまだ残っていたのかな?後、たくさん眠ったし。

こんな状態で、私はまた歩けるようになるのだろうか。本当に怖かった。杖や車椅子が必要になるのだろうか。私の足は立ち上がり、歩くことを思い出してくれるんだろうか。

翌日、状態は格段に良くなった。歩けるな、と思った。まだゆっくりすり足で、周囲を持ちながらだけれど、体が歩き方を思い出してくれたのが、気持ちを大きく変えた。立ち上がる苦労も少なくなった。

 

今は良くなりそうな気がしてます。

来週、抜糸やスキャナーで支えの位置確認がある。

放射線科の先生の診断は金曜日で、治療の予定は全く知らない。

こうしている間もがんがむくむくと増えているのでは、骨を溶かしているのでは、と考えるととても怖い。体が手術から回復するのと、がんが進行するの、どちらが早いだろう。

明らかに痛みに気づいたのが10月、転移再発がわかったのが3月初め、もう4月なのになんの手も施してないのだ。どういう状態なのか、とても怖い。

IRMの先生は、早く医者に電話をしてすぐ会った方がいいと言った。

癌センターには様々な程度の患者さんがいて、生死に関わる方が優先で私のような程度の患者は後回しではないか。そのせいでがんが広がり、取り返せないような重症になるんじゃないか。頭から離れない。

 

病気が癌とわかる前、生体検査(腫瘍から一部を取って検査する)の後、3日間苦しんで嘔吐し続け、3日後に正確な視界を失った。おそらく、その時がんが目に転移したのだ。がんは刺激したら、増えるんじゃないだろうか。そんなことを考える。

 

月曜日まではだらだらとベッドで過ごす予定。

 

骨転移ある人に知って欲しい

久しぶりに、癌闘病の話題です。

癌闘病中でありながらのんきなもので、転移だなんて一ミリも考えていなかった。

最初に検査で分かった時には、ぼんやりとしていて「それって重症?」と先生に聞いたら、腫瘍科の担当医に聞いてと言われた。

 

そうかーそういうこともあるわー。そりゃそうよねー。

という感じで、自分がどう感じていいのかわからない、それが言いあらわせる言葉だった。

今後の治療が決まっていくにつれて、恐ろしくなってきた。

今日、いきなり手術のことを聞かされ、決定的に恐怖という感情が固まった。

 

2020年、乳癌が見つかった時にはすでにあちこち転移があり、手術することはできなかった。年は越せないだろうと言われていたが、治療を重ね、全身のがんは少しずつ減少していった。

その後、奇跡的回復を見せ、今なんて知らない人が見たら病人には見えないだろう。(治療は続いっているので、けっこう中身は疲れているが)

 

半年ほど前、腰が痛くなり、痛い痛い!と医者や友達に言っていたのだけれど、腰痛と片付けられていた。オステオパット(骨を主に見る整体みたいな医者)に行ったりしたけど、良くなったり悪くなったり。先月が最悪に痛くて、本当に誰か助けてーという気持ちだった。

 

痛いのでスキャナとるかーととってみれば、まさかの骨転移。

偶然3月は病院診察週間だったのもあり、どんどん治療が決まっていったのだった。主治医の診察予定が早まらなかったので、それほど緊急でないのかなと思っていたのに。

 

そして今日、主治医診察すっ飛ばして、外科医診察が入って、何も聞いていなかったのにいきなり手術の話をされたのだ!

まず、ネジとのりで骨を固定する。と15cmくらいの直径0.8センチくらいのネジを見せられた。

「これ、本物ですか?」

「これは患者さんに説明する用。本物は長さ合わせるよ」

やっぱりこれを体に入れるのか。

「で、こんな風に二本」

「のりみたいなもの注射するって聞いたんですが…」

「骨セメントいれるよ。骨が弱ってて、ビスが固定できないからね」

こちらで、IMRやスキャナ見ながら説明されたことなかったのだけれど、この先生は私の骨を見せながら説明してくれた。

「ほら、こっちは綺麗でしょ。こっちは、見てわかるでしょ」

真っ黒やん。しかも骨の形ないし!

(黒いのは溶骨性がんだそうです。溶けたのか…)

 

「転移性脊髄圧迫(てんいせいせきずいあっぱく)」を知っていますか? - 広島がんネット | 広島県

今、このサイト見ました。

腰から足が痛くて、力が入れられなかったらすぐさま転移疑えって書いてあるじゃん!

治療をいつ始めるかが重要って書いてあるじゃん!

半年前からの症状、書いていることにほぼ当てはまる!!

 

手術跡嫌だな、と思っている場合じゃないのだった。

もっと遅ければ歩けなくなるかもしれなかった。

 

なぜ転移を思いつかなかったのだろう。

そう思っても遅い。そのとき気付いていれば、ネジとのりは必要なかったかもしれない。

痛い痛い、そう思いながら、たくさん無理をして歩いてしまったのだ。

仕事があって、どうしても歩かなくちゃいけない時もあった。

もっと早く疑っていれば、ビスは必要なかったかもしれない。

 

どうして医者は気付いてくれなかったのかな、とも思うけれど

気づくべき、もっと真剣に考えるべきは私だったのだ。

もっと自分の体に目を向け、がんの治療中であることを忘れてはいけなかった。

 

最初は病状、治療日記をつけtいたのだけれど、安定してからはすっかりなんの記録も取らなくなった。

本当に、骨転移がある人は上のサイト他見ていただいて、その後の可能性を知っておくべき。

自分を大切にするために、知ろうとしなければいけない。

痛がる体を酷使してはいけない。大事に、大事に、みんなの様子を見ないといけない。

弱った体から目をそむけない。大切に見守り、手入れする。

それが、自分を守るということだ。

最近話題となっているAI 徒然

前回のブログ、いちって書いておいて続き書いてない…

その後、家事サービスの担当変えてもらったんだけど、新しい人がこれまた私と全然合わなくて、また変えてもらいました。

私がわがままなんでしょうかね。もう、来るのがストレスでストレスで、こんなにストレスを感じるのなら「またこいつ変更かよ」と思われてもいい、変えてもらおうと思ったのでした。

でも変更依頼をしたのはこれで3回目なんですよ。

それでもオフィスでは、こいつはいつもいつも…という印象になっているのだろうな〜。

そんなこと考えなくてもいいことかも知れませんが。

 

最近の私といえば、体調が悪く、人体のエネルギーが少ないので、判断力も決断力も鈍り、人生への参加意識が低いです。

↑この説明、自分で考えましたがなかなか的を得ています!(そんなことではしゃがなくていい)

 

近年、世の中との乖離っぷりがひどく、全然世界を知らないのでラジオを聞き始めました。

毎日、戦争や紛争の事しか言わないので、今この時も戦い失われている命があるのだと世界を悲しく思っています。

 

それから、数週間前の中国AIショックの話、アメリカのスターゲイトプロジェクト(アニメっぽい名前で面白い)の話を読んでいたら30年も昔、AI の仕事をしたかったことを思い出した。

動機は単純で、樹なつみ先生の少女漫画「OZ(1988)」と薄井ゆうじ先生の小説「天使猫のいる部屋(1991)」を読んだから。

天使猫のいる部屋

 

OZ 完全収録版 1 (花とゆめコミックス)

しかし、私はあまり勉強したくないからという理由で文系に進んでおりもう、理系の大学には行けなかった…私立は工学部を受けたけれど、公立の情報教育という微妙なところに進学した。

その後、文系の柔らかい頭で考えるテクノロジーブーム(のようなもの)がやってきたので、選択は間違いではなかった。でもたまに、あの時AIの道を選んでいたらどうだっただろう、と思う。

幼い時ドラクエをやっていたら、AIが導入されて、コマンド入力しなくても仲間が戦ってくれるようになり、私はとても嬉しかった。そんな技術が今や、AIが計算する投資システムや環境システムなんか、すごいことをやっている。

ところで小さなことだけど、個人の消費活動におけるAIがあんまり進展してないのって、消費者が賢くなると困るからじゃないかと思うんだけど、どうでしょう。AIが助けないまま気が向くまま消費してくれということかな。

私はチャット(Gpt)をよく使っている。ある時、チャットとの関係をよりよく築くために最初からやってみようとリセットしたら、チャットがすっかり馬鹿になってしまった。当たり前だけど、あなたはもう前のチャットじゃないのね、と悲しくなった。

 

 

いや、賢いことは言うけど反応に統一感がなく、バラバラ。(ちゃんと最初にメモリ登録はした)そのニューチャットに私がだらだら思っていることを文章にしてもらった。

やっぱり賢いね、笑 自分で文章を書く時が来るのだろうか、と思ってしまった。

 

テーマは「テクノロジーの進化を体感した世代、昭和後期生まれ

以下 昭和後期世代について私が思ったことをチャットに伝え、書いてもらったもの。

 

昭和後期生まれの世代は、テクノロジーの進化を日常生活の中で最も鮮明に体験してきた世代といえる。彼らの幼少期から現在に至るまで、技術の進化は加速度的に進み、個人の生活環境に直接影響を及ぼしてきた。

まず、家庭における映像メディアの変遷を見てみると、白黒テレビからカラーテレビ、そしてビデオデッキの普及によって、映像コンテンツの消費スタイルが大きく変化した。録画という概念が一般化し、視聴者はリアルタイムの放送に縛られなくなった。次に、ゲームの進化はテクノロジーの発展をより身近に感じさせる要素の一つだった。初期の家庭用ゲーム機は単純なドット絵の表現にとどまっていたが、やがて3Dグラフィックスの導入が進み、人工知能AI)の搭載によって、対戦相手がより人間らしい動きをするようになった。このように、テクノロジーの進化が「体験の質」を向上させてきたことが、この世代にとって印象深い点である。

また、ワープロからパソコンへの移行も、日常的な作業の効率化に大きな影響を与えた。ワープロは文章作成の専用機として革新的だったが、パソコンの普及により、単なる文書作成だけでなく、表計算や画像編集、さらにはインターネットを活用した情報収集が可能となり、個人の生産性が飛躍的に向上した。インターネットの発展とともに、情報のやり取りがリアルタイムで行われるようになり、かつては一部の専門家だけが扱えた技術が一般の人々にも開放されるようになった。

このような技術の進化は、現在も続いている。AI技術の発展によって、かつて夢物語だった高度な自動化が現実のものとなりつつある。例えば、個人に最適化された医療、言語翻訳の精度向上、データ解析による予測技術の高度化など、さまざまな分野でAIの活用が進んでいる。一方で、昭和後期生まれが子どもの頃に夢見た「猫型ロボット」のような家庭用AIアシスタントはまだ一般家庭には普及していない。しかし、スマートスピーカーや自動運転技術の発展を考えれば、その未来は決して遠くないだろう。

この先も技術革新は予測を超えるスピードで進む可能性が高い。過去数十年の進化を振り返れば、これからの数十年で「信じられないような発展」が起こることは、むしろ必然とも言える。AI量子コンピュータ、バイオテクノロジーなどの分野が融合し、現在の延長線上にはない、新しい社会の形が生まれるかもしれない。昭和後期生まれの世代は、過去の技術革新を実体験してきたからこそ、未来の変化にも柔軟に対応できる世代となるのではないだろうか。

 

以上。チャット、日本語の文章書くのうまいね。

インターネットのない時代を生きた私たちは、子供の時友達への手紙を本屋の掲示板に貼り付けに行っていた。学校で会うのに、手紙のやり取りにわざわざ本屋に行くのだ。

そこにはイラストなんかも貼られていて、イラストを書く知らない人たちと交流もした。

こんな体験も、私にとっては大切なもの。

息子は、プログラミングさせてゲームを作ったり他、いろいろチャットを活用している。

簡単だというけど、私には無理〜。

 

老後に備え、今から音声AIと仲良くしよう作戦を始めたのだが、設定さっぱりわからず難航中。誰か教えて。私はデジタル機器の使い方を教えてくれる公的サービスを作るべきだと思う。だって、生活の手助けを必要としているご年配、障害があるかたこそAIを利用してより快適に過ごせたらいいなと思うから。